20241112_言葉・文章について思うこと

 昨今、「市井の読解力が低下している」という言葉を耳にする機会が増えています。SNSをはじめとするインターネット上では、大量の情報が溢れています。しかし、いくら識字ができても、短い言葉すら曲解する人々が増えていると感じます。これは、ただの勘違いにとどまらず、言葉を武器として攻撃する場面を生むことにもつながり、辟易することもしばしばです。

私が特に気になるのは、このような「余裕のない人々」が言葉を自分の都合の良いように捻じ曲げることです。本来、言葉とはコミュニケーションのための手段であり、他者との意見交換や理解を深めるためのものです。しかし、自分の思い通りに解釈をねじ曲げるような行為は、言葉そのものに対する冒涜であると言えます。言葉の中に込められた本来の意味が無視され、曲解され、時には攻撃の手段として利用される状況に、私たちはどこかで距離を置くべきではないでしょうか。

たとえば、歴史の中で問答無用で行われた暴力を考えると、言葉が届かないことの悲劇が鮮明になります。話し合いができる人間であれば、犬養毅を問答無用で撃つような行為は避けられたはずです。言葉が失われ、無意味になった瞬間、そこには対話ではなく暴力が生まれる。これは過去の話に留まらず、今の時代にも通じる問題です。

技術や富、食糧など、人類はここ一世紀で目覚ましい進歩を遂げました。しかし、言葉の力が衰えているように感じるのはどうしてでしょうか。人間同士の心の通い合いや、相互理解のために使われていたはずの言葉が、むしろ退化しているように見えるのは皮肉です。

私は、この言葉の退化が、人間の進歩の中で捨てられてしまうようなものでないことを願っています。言葉にはまだ希望があり、私たちがその力を取り戻すための努力をすべきではないでしょうか。理解し合い、対話を深めるために、もう一度言葉の重みを見つめ直すことが必要なのだと思います。

tamuramaro

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*

CAPTCHA