日記
しばらくぶりです。
相変わらず無職のままで中々転職活動も捗らないですが、この時間をちょっとでも活かしたいと思い、今まで体験することのなかった映像作品、音楽、そしてVRに手を付けてみて、色々なことを感じていました。
新鮮なものです。未知の体験、作品への傾倒、見えない人への敬服。これらを通じて、自分はあまりに知らなさすぎることを改めて思いました。
恥に思う心は未だにありますが、それも悪くない感情であろうと、自然な反応だろうと、そう思い始めています。
こうやって、ハリボテの全能感を喪失していくことが、年を取るってことなんでしょうかね。
さて、色々な体験を経て、率直に感じたことが1つ。タイトルにあるように、『ビターエンドは似合わない』です。
物語にしろ、人生にしろ、山があれば谷もあります。それも渓谷のように深い奈落の底だったり。底のまま、渋く、淡く、苦い残り香を残して終わるストーリーって、余韻も凄く深いですよね。
そういった物語を魅力的に思うことは、決して悪いことではない。
バッドエンドでも、何かしらのメッセージを帯びています。
ノンフィクションでは、人類が忘れてはいけない普遍的な真理、気づきを思い出させてくれます。
でも、いつまでも余韻を味わっていると、どこへも進めなくなるような気がしているのです。
街灯のない隘路を、ひたすら迷っているような…。
現実と虚構の間を彷徨うような…。
死って思った以上に突然訪れる。
親戚や祖母の死に立ち会ったから分かる。
自分もいずれはそうなると。
でも、一度きりの人生、ビターエンドのままプツンと終わるのは悲しい。
死神はいつも隣にいるかもしれないけど、その鎌を振るのをもうちょっと待ってくれないか、と、切に願うこと。
それが礼拝に繋がったんだろうな。
走馬灯になったんだろうな。
三途の川が見えたんだろうな…。
正直、祈るだけの人生も大概ビターだよな、と今は感じますけど、僕の価値観は、これからほんのり苦みを帯びた哀切なものに変わるかもしれないから、祈りの声や文字も甘く感じる時が来るかもしれないですね。カルトはだめだけど。
幸いにも、呑気にVR出来る国に産まれることが出来た以上、僕もビターな現実を少しでも愛してみようと思いました。
甘く切なく、しかし旨味が凝縮して生きていきたいものですね。
ビターなまま、現世を、宇宙を、バーチャルを去るのは、もったいなさすぎる。全てにおいて。
世界は過酷を極めている。
ビターエンドは、誰も望んでいないのに。
甘い果実も、銃火器で撃ち抜いたら台無しだぜ。
tamuramaro