「そして、バトンは渡された」
この本を手にしたのは、母が心を病んでふさぎ込んでしまった自分に対してのわずかばかりの贈り物を受け取った時でした。
本屋大賞を受賞し、映画化もされていたものですが、興味本位で本をじっと読むことが持たなくなっていた精神状態だったため、中々本腰を入れて手をとる時間がありませんでした。また、新しい職場について、得ないといけないスキルを身に着ける時間が増えたこともあり、余裕のない時分で、読書の習慣をつけることは、退職して時間が思いっきり余るまで出来ませんでした。言い訳にしてやろうともしてなかった、とも言えますね。いまさら考えても仕方ないかなと。
分厚い小説、上下巻の小説など家にぽつぽつとありますが、それは流石にリハビリとしてきつすぎる訳ですから、こうして文庫本で何とか読めるものをぱっと手に取ったと言えましょう。
上の文を書きかけていたのが6月14日だったようです。
放置して今に至ります。
色々登場人物がどうだとか、物語の展開はどうだとか書きなぐってはいたのですが、陳腐で拙い言葉でしか表現できない自分に腹が立ってしまい、かといって衝動的に一発書きしても、それが本当に自分が抱いた本書の感想なのか?と思うと、更新することをサボってしまいました。
正直、色々と疲れています。
待ってはくれないことがたくさんあります。
頑張らないとと思うたび、現実に打ちのめされます。
誰かを頼ってみても、どうもかみ合わない。
能力検査を受けるだけ受けてみたのですが、40の職種のうち35に適正があるそうです。
信じられないですよね、苦虫を嚙み潰しました。
うつ病の典型的な症状、『役に立つ人間たりえない』という思いは、10年以上発散できないままです。
何も努力していないと言われてもしょうがないくらい、人生サボり散らかしているものありますが。
かといって、独りは寂しいものです。
なので、こうして再び文字を打ち込んでいます。
僕は誰からバトンをもらい、誰に渡せるのでしょうね。
貰うことを拒否し続けた20代は、もう戻ってこない寂静のように思います。
自分は頑張っているつもりでも、それを無意味無価値と否定され、さらに頑張られると、やっぱり競争に負けたと思うものです。
頑張る気力がないのに頑張った結果、周りに迷惑もたくさんかけてしまいました。現在進行形かもしれませんね。得てして発生した私の病なのかもしれません。
ずっと鏡の自分と向き合ってきました。十分苦しんだのかもしれませんが、まだ足りないようにも思えます。
なぜなら、まだ生を終えたくないから。
生きたいと願う心は、風前の灯火ですが、ゆらゆらと燻っています。
それがある限り、私はもうちょっと苦しもうと思います。
もうちょっとが半世紀くらいだといいかもしれませんが、世間が許してくれるかな。
そんなことを思う、夏の夜です。
ここまで読んでくれた人に、ありがとう。
さよならは、まだまだ言うつもりは無いからね。
tamuramaro