20241019_責任

できることなら責任を負いたくない。

もう、この一言で十分です。これまで、さんざん逃げてきた結果、何も成し遂げることなく過ごしてきました。失敗を恐れ、挑戦に疑念を抱き、何を目指すべきか迷い続けた結果です。

「自由には責任が伴う」という考え方が、資本主義社会において成功するための基本的な公理であると理解しています。

しかし、この考えに不満を抱いています。

最大の理由は、上に立つ人々がその責任を果たしているとは思えないからです。

政治への不信感、富裕層がますます富を蓄え、慈善活動も彼らの利益の一部に過ぎず、経済は停滞する。結果として、中流層は次第に下流に追いやられています。

企業内でも、思い描く進み方に賛同できる人もいれば、難しい人もいます。そういう中でも、チームとして動かねばならず、これから何らかの形でまた係る可能性がある以上、不信と不満が滲み出る雰囲気では、結果がマネージャーに搾取される恐れが多分にあるでしょう。

物価高が続く中、責任を持って政策を立案し、国民全体に届くような利害関係を超えた政策は、実行されないままです。

成功しても失敗しても、責任を果たし自由を享受し、それを広く人々に共有できるような真のリーダー、つまり無償の愛を施し、性善説に基づいて他者を信じ、協力しながら進む理想的なリーダーは、現れることがないでしょう。

少なくとも、それが私でないことは明確です。

それでも、いつかは責任を果たすときが来る。

私でさえ、何らかの成果を上げ、納期に間に合う責任ある成果物を提出して報酬を得ることが、生きるために必要な行為であると理解しています。

疲れた心に鞭を打つことは、正直なところ苦痛を超えたものがあります。しかし、それをしなければ報酬は得られず、生活が困難になります。

今の私はまさにその状況です。

関係者の皆さんには申し訳ないのですが、親の行動によって再び東京の病院を訪れることになりそうです。そこで解決する問題もあれば、そうでない問題もあります。精神面については薬やカウンセリングで対処できるでしょう。しかし、もう一つの問題は私自身の内面的な意識です。この点については、東京の先生と話し合うことで何か見えてくるかもしれません。

これから年を重ねるにつれ、他人のために責任を負い、頭を下げる機会も増えるでしょう。

そういう時、一人で抱え込まず、ここで自由に話したり(機密情報は除いて)、相談できる場があればいいなと思っています。

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*

CAPTCHA