さて、2015年も終わります。
個人としては、大きな動きがあった割には怠惰に過ごしてしまった感が否めない年になってしまいました。来年はそんなこと言ってられなくなるので気を引き締められればと思っております。
一番の動きとしては院卒をあきらめて予備校に通い始めたことでしょうか。抑うつ状態とはいえ研究を投げ出すことを許してくれた教授陣には感謝しています。またひたすら試験対策に走る日々ですが、高校時代と比べ明らかに勉強の質が変わったと思っています。当時気づけなかった、気付けられればよかったと思うところがあるのです。そこを少し書いてみようかなと。
義務教育や高校の勉強では少なからず機械的に勉強しがちで、わからない問題に出会うとすぐ解答を見がちだと思います(私がそうだっただけかもしれないが)。例えば、
ある2次関数f(x)がx軸と異なる正の2点で交わる条件
と言われてグラフの形状を想像できるでしょうか?先生に言われるがままに条件だけ羅列していないだろうか?解答を写して満足していないだろうか?
特に理系教育に言えると思うが、理論・証明をほっといて解法を機械化する傾向が強いように思う。色々なことに「なぜ」と思い理解に苦労している人と、言われたことのみを機械的にできる人、今後うまくいくのは間違いなく「なぜ」と思った人です。機械的な計算は見せかけで、少しひねられると出来ずに投げだすことになる危険性があります。問題を解き進めていくうち、疑問が生じます。
あれ、なんでこんな計算してるんだろう?なぜこれを暗記しているんだろう?
機械化の後にこうなってはもう遅い、かなり苦労します。「なぜ」すなわち根拠が勉強にとって大切なことだと思います。例えばセンター試験は、数学以外純粋な選択式です。理論上、ひとつひとつの問に根拠をもてば100点取れるわけです。数学だって、計算手順の根拠がしっかりしていれば時間内に解き終われます。初見の問題にも対応できます。「なぜ」に苦労することは当たり前です。一握りの天才はそれが一瞬なだけで、完全無欠にするための努力を怠らないがゆえに天才なのです。では機械化させることのどこが問題なのか。
機械化のまずい点、一つ目は「出来た気になっている」ことです。解法(この言葉も嫌いですが)を模倣して解けた問題は今後試験に登場するのでしょうか?定期テストならそれでもいいでしょうが、本番にはまず出てきません。少しひねられるとダメ、これでは点数が伸びないのも当たり前です。
二つ目は、「解法に執着しがち」なことです。なんでも自分がやったように解こうとします。そしてひねられた問題に行き詰ります。例えば確率や組み合わせ。機械化人間はすぐPや階乗、Cを使いたがります。そして混乱します。そんなことなら紙に全パターン書いて求めた方が早い時が結構あるわけです。悲しきかな、計算に固執するあまり最も簡単な方法を忘れてしまう・・・。
大学の勉強(例えば量子力学とか)になると理解がおぼつかないこともあるでしょうが、努力をしてみるのはとても価値あることだと思います。少なくとも機械的にやるよりは理解が進んで、将来の糧(特に卒論)になるでしょう。先生(教授)も黒板には手順だけ書いてるかもしれないが、「なぜ」の説明を欠かしていないはずです。黒板の文字をノートに一字一句写すことより言葉を聞き漏らさない方が重要なところに、授業の大切さがあると思います(機械化だけ推す先生の話は馬耳東風で結構)。自分も「なぜ」に意識を置いて、今自分が取り組んでいることに対しての理解を深めていきたいものです。
以上駄文でした。皆さまよいクリスマス(?)、よいお年を。